ネラの鶏卵|和田くんの就農スケッチ

和田くん

わが家で飼っている鶏のうちの1羽が、ある日、突然、卵を温めはじめた。4年間、鶏を飼ってきたが、こんなことは今までなかった。この「ネラ」という品種の鶏を、10年以上、数百羽も飼っている竹渕さんに尋ねても、品種改良のせいか、卵を抱くネラは珍しく、卵を抱いてもすぐに飽きてしまうのだそうだ。

彼女は、餌も水も取らず、ずっと卵を温めつづける。鶏舎へ餌を持っていくと、他の鶏はワイワイと集まってきて我先に餌をつつくのに、彼女だけは産卵箱で卵を抱いたままだ。心配になり、目の前に餌を置いても、食べようとしない。

彼女は他の鶏が産む卵も引き寄せて、いっしょに温めようとする。ぜんぶ温められると、わが家で食べる卵がなくなるので、目印を付けて3つだけ温めさせることにした。他の卵を取るために彼女の暖かなお腹の下に手を伸ばすのだが、彼女は絶対にそこから動こうとせず、卵を取ろうとする手をつつく。

卵を抱き始めてちょうど20日目の朝、卵の殻がほんの少し割れ、中から小さな声が聴こえてきた。小さな小さな嘴で、懸命に殻を破ろうとしている。助けてやりたい気もするが、彼女はただ自分のお腹の中に入れて温めるだけだ。その日の夕方、3つの卵から3羽のひよこが元気に誕生した。
 
私は「在宅介護」の介助者の仕事をしていたが、介助は、卵を温めるのに似ている。介助者は、動き出す本人の意思を、ただ助けるだけだ。卵の殻を無理矢理こじ開けるのではなく、卵を温めるように忍耐強く待つのだ。食べ物を口へ運ぶ食事の介助においても、衣服の着脱の介助においても、車椅子による移動の介助においても、調理や掃除、洗濯などの家事援助においても、それは同じだ。本人の意思の赴きに沿わない介助は、もはや介助とは言えない。介助者のひとりよがりになってしまう。

私が「在宅介護」にこだわったのは、障害者があたりまえに自分の家で暮らし、あたりまえに街に出て生活できる社会を望んでいたからだ。いま私は、ひとりの百姓として、農薬や化学肥料に頼らない農業があたりまえになる社会を望んでいる。「付加価値が付いた無農薬野菜は、高く売れるから」という理由だけでなく、人体のみならず、あらゆる生物、自然環境に負荷を与える化学物質は、できるかぎり使わない、それが人としてあたりまえ、という世の中へ。

社会を変えるのは、想像を絶するほど難しいだろう。膨大なエネルギーと時間と忍耐を必要とするにちがいない。真木悠介は「卵を内側から破る」という文章のなかで、平和な社会を実現するのは、非暴力的な過程でなくてはならないとして、つぎのように書く。

「レーニンが革命的暴力を正当化して、オムレツを作るには卵を割らなければ駄目だ、黙って待っていてもオムレツはできない、と言った。そのとおりである。けれども卵それ自体の内部生命にとっては、卵は内側から割られなければならない。卵の殻を破るという暴力も必要かもしれないが、それは卵の胚芽が確実に成長し、桎梏となった卵の殻をみずからたたき割ることによって解放を遂げるのでなければならない。つまり、あるべき関係や感性や理性のあり方を(いま、ここで可能な限界のギリギリまでは!)実体としてまず創出し、この実体をこそ主体としながら、その桎梏として現れる臨界面で体制を変革するのでなければならない。そうでないならば、卵はたしかに割られても卵の内部の生命は死んで、オムレツをつくる人間(「前衛」党幹部?)に食べられてしまうだけである」

社会の変革が非暴力的に行なわれるためには、社会の内部の構成員である私たちひとりひとりが、みずから成長し、変わるのでなければならない。もし社会の変革が、卵の殻を外側から割るように、性急に暴力的に行なわれるのであれば、それは理想的な非暴力の未来をもたらさないだろう。

ところで、この気の長い過程を、私たちは待ち続けることができるのだろうか。農薬を必要としない農業、薬剤に頼らない畜産、障害者が自宅で過ごせる地域社会。差別や偏見、乱開発や自然破壊、原子力発電、テロや戦争などのない社会。これらすべての実現は果たしていつになるのか、私には想像がつかない。けれど、いまの私にもできることはある。それは、これら理想の胚芽の成長を信じ、内側から卵の殻が破られるその日まで、忍耐強く卵を温め続けることだ。

私にとって卵を温めるというのは、ほんものの百姓への道を静かに歩み続けること。それは、悲壮な決意で目的の地をひたすら目指す歩みではなく、ゆっくりと長旅を楽しみながら歩むような道のりでありたい。

農作物を育てていて、植物の栽培は、介助に似ていると思う。私にとって植物の栽培は、植物の声に耳を傾け、その植物本人の意思を感じ、植物自身が備えている生きる力や育つ力を信じ、その伸び行きに従いつつ見守り、少しだけ手助けをすることでしかない。それは、卵を温める鶏の姿とも重なって見える。

3羽のひよこが生まれてからも、彼女の世話は続く。生まれて間もなくは、あまり動かずに卵を抱くように座っていたが、ひよこたちはお母さんのお腹にもぐったり、顔をのぞかせたり、そして、お母さんの周りで動き回って、だんだん行動範囲が広がっていく。彼女は、餌の食べ方や探し方、水の在り処などを教えていたが、教えることがなくなると、動き回るひよこをつぶらな瞳でやさしく見守っている。ひよこが大きくなった今でも、寒い夜には子どもたちを自分の暖かな羽の下にもぐりこませる。その様子を見て、鶏から学ぶことが、まだまだたくさんあると思うのだ。

この文章を書いた人
和田くん
愛妻よっちゃんとは、勤務先の野菜宅配会社で出会った。結婚後、野菜宅配会社を辞め、群馬県の倉渕へ移住。くらぶち草の会に加わり、有機農業を始める。現在は、新規就農者の世話を焼くのが、なにより楽しいらしい。手塚治虫のファンで、全集400巻を揃える。